ツイッターユーザーの呼びかけで正体判明!謎の巨大観音像はなんだ!?
どうも“もも”でーす
今日も来てくださってありかどうございます(☆。☆)
突然ですが
ある1枚、いや、
たった1枚の写真から、謎に包まれていた巨大観音像の正体が判明したのです。
しかもそれはTwitter上で起こったのです。
…なんかアンビリバボーでも始まりそうな感じですが、
いきましょう!笑
【判明までのストーリー】
発端となったのは、
サイト「コンクリート像を見にゆきます(仮)」
の管理人・つるまさんが12月1日にTwitterに投稿した1枚の写真でした。(それが上の画像)
「この観音像が撮影された場所、年代を探しています。これだけ巨大な観音像なのに、日本のどこにあった(ある)ものなのか、全く不明なのです」
とつるまさんは呼びかけました。
つるまさんによると、
1.この写真は近畿のとある寺で見つけた
2.これだけ巨大な観音像であるにもかかわらず、写真が撮影された場所も、年代も一切が不明
とのこと。
ツイートはたちまち拡散され、ここからTwitterユーザーによる壮大な推理合戦がスタートしました。
ある人は観音像の作風から
「この仏師の作風に似ている」と指摘。
またある人は写真に写っていたお坊さんの袈裟(けさ)の形から
「昭和初期の禅寺では」と推測……
しかし、どの情報も決定打にはならず、
引き続きつるまさんは情報提供を呼びかけました。
そんな中!!!
事態が12月5日に動きました。
それは、
ある人が、“福崎日精”という仏師と、埼玉・秩父にある大淵寺(大渕寺)護国観音との類似を指摘したことでした。
これがつるまさんに、ある“ひらめき”を与えたのです。
つるまさんがひもといたのは、国立国会図書館デジタルコレクションにも納められている「観音の霊験」という文献。
この中に「福崎日精の師匠らしき人物が、大淵寺の護国観音を作る前に九州青ヶ島に滞在していた」という記述があったのを思い出したためです。
さらに調べてみると、長崎県の青島に「子安観音」という観音像があることも判明し、
「青島」「子安観音」「福崎日精」
写真から得られた手掛かりと、これまでに寄せられた情報が、この3つのキーワードを中心にパズルのようにピタリとはまっていきました。
さらに「青島出身の者です」という人まで現れ、つるまさんの推理を裏付ける形に。
そして最初の投稿から約1週間後の12月6日!
つるまさんは“謎の観音像”について分かったことをあらためてTwitterで報告しました。
青島の地域おこしプロジェクト「青島◯」に直接問い合わせた結果、
担当者から
「ほぼ間違いなく青島の子安観音」
との回答があったそうです。
「青島◯」の担当者によれば、つるまさんの予想通り、この観音像は昭和9年(1934年)に福崎日精の師・志佐鳳州によって建立されたとのこと。
大戦前という時勢柄、佐世保軍港の裏門である伊万里湾を守護する意味を込め、片手に子供、片手に槍(鉾)を持つ姿となり、「護国観世音」と命名されました。
しかし残念ながら昭和60年(1985年)の台風で損壊、撤去され、その後現在の「子安観音」へと建て替えられたとのこと。
つるまさん
→「青島からの情報をもらった時はさすがに感動しました。判明のツイートは実は涙ながらでした」
この一連の奇跡のような歴史ミステリーの解読劇に「鳥肌立った」「集合知の勝利」などの声があり、惜しみない称賛が寄せられました。
(終)
……ネットってすごいですね。
なんかTwitterとかSNSって悪いこともあるけど、こういう素晴らしい出来事もあるから、やめられないんですよね笑
Twitterでケンカするも、みんなの専門知識で物事を解決するも、使い方次第なんだな
って思いました。
【まとめ】
・たった1枚の写真から、みんなの知識が寄せられ無事解決に至った。
今日の参考ニュースはこちら↓
Twitterユーザーの呼びかけで正体判明! 謎の巨大観音像写真から始まった歴史ミステリーに「鳥肌立った」「集合知の勝利」 (ねとらぼ) - Yahoo!ニュース